みなさん、おはこんばんちわ【じっこ】です。
小中学時代に徒歩で学校に通っていた際に、石碑とか見かけたことってありません?ガキの頃は何にも感じなかったのに、なんかの拍子にふと思い出した。
「オロナミンCの古い看板」や「蚊取り線香の看板」「キリストの言葉の書かれた黒い看板」などは、いかにも昭和的な懐かしさを感じますよね。
昭和の懐かしさとはまた別物なのですが、「あの石碑ってそもそも何だろう?」と疑問が湧いてしまい、Googleマップにも載っていませんからブラタモリっぽく散策してきました。
江戸時代の出羽三山信仰から来たようです
県内には多数あるらしい、山岳信仰「出羽三山」の石碑。
場所は、鳴瀬幼稚園様の近くで旧小野橋のたもと付近の駐車場にあります。
真ん中の崩したような文字が読めませんが、湯〇山ときたら湯殿山以外に考えられませんね。左上の方にかすかに「慶應」と書いてあり江戸時代のものだと何となくわかります。
宮城県では、江戸の飢饉の時代から出羽三山に地域をあげてお参りに行くといった行事があったらしく、その参拝を記念して五穀豊穣などを願い建てられた石碑だったようです。
ガキの頃はなんも知らないので、「ここ山じゃねーじゃん」といつも思っていましたが、理由を知れば納得です。そんなガキだった私も30歳を過ぎてからは神社に行くようになり、出羽三山の一つ「羽黒山」へも数年前に参拝しました。
スケールが大きい神社
伊勢神宮や出雲大社に参拝したことは無いのですが、東北の中で言ったらやはり出羽三山のスケールは江戸時代の宮城県民にとっては信仰の対象になりえるに十分だったと感じます。
随神門より「羽黒山三神合祭殿」までの石段を私も登り切り参拝した時そのスケール感に圧倒されました。
いろんな神社の狛犬を見て来ましたが、ここの狛犬はマッチョ感がたまらないです(^▽^;)
松尾芭蕉も通った道
江戸時代の鳴瀬町は宿場町だったようで、仙台から石巻あるいは気仙沼へ向かう道の分岐にあたり、かの松尾芭蕉も通ったと言われています。
場所は鳴瀬郵便局様より山の方へ向かう道をまっすぐ進みんだ先の十字路になります。
この石碑には「右石巻、左広渕」と書いてありその通りの道はありますが、どちらも大きな国道に出るまでは、割と細い道なので車で通る際は注意が必要です。普段は、地元民の散歩道な「奥の細道」です(^◇^)
明治に計画されていた幻の港跡
地元では有名な話で、明治11年に明治政府が取り組んだ近代的洋式港湾建設プロジェクトだった港のレンガ跡(横浜港より計画は先)開港後の台風で崩壊し幻の港になりました。
石碑というよりは跡ですが、町の史跡としては貴重な財産ですね、場所は鳴瀬川河口付近になります。
運河沿いはサイクリングロードとして整備されており、大曲浜まで続いていきます。
町の中をブラっと歩いたら、改めて古いものに触れて調べる機会になりました。
調べると言っても、今は検索をすれば分からない事が無いくらい答えはすぐ出ます、しかし今回のように普段は気にも留めないような物に目を向けられたことは良かったと私は思います。 では(^O^)/
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